あ~、何ヶ月ぶりでしょうか。しかも年が明けてからこんなに経ってNYに帰る直前に更新するのもなんですが、この冬休みは日本で文字通り骨休めをして、これからまた新年がんばれそうです。
なんだかんだ言いつつ怒涛の秋セメがクリスマス直前に終わり、あんまり納得の行くセメスターではなかったものの、今回はビザの更新というちょっとした一大事のために色々と奔走し、どうにか25日、クリスマスの飛行機に乗ることができ、26日には1年半ぶりにニッポンの土を踏んだのでありました。
ビザの更新、かな~りナーバス。今回は、5年前の前回にはなかった面接もあったので、一体どうなることやら、と・・・。領事館なるものに足を踏み入れるのも初めてだし。
いろんなことを言うひとがいました。最近はビザの更新かなり厳しいとか。大学行ってても取れないこともあるとか・・・。要求されてない文書、たとえば教授の推薦状とか、帰国後の就職先のレターとかを提出
しないといけないとか・・・。一方、取れないはずないじゃんという方々。しかし、いくら厳しかろうとそうでなかろうと、結局のところ取れるか取れないかという0か10かという状況、必要書類をこちらなりに丁寧に作成して提出する以外、心配してもしょうがない気もして。とか言いつつ、なんで学生ビザが必要なのかという意志表明&ビザちょうだいレターは、面接当日の朝書いて仕上げたりする始末だったんですけど。
親の残高証明は、親の都合と時間の関係上、面接前日に、大阪で落ち合い持ってきてもらうことになってたので、それはしょうがないとしても、自分でもけっこうハラハラな準備具合でした。
そして面接当日。
朝9時にホテルを出て、母とタクシーで西天満の大阪総領事館へ。そのタクシーの運ちゃんが、いかにも大阪ノリのおっちゃんで、私的にかなりツッコミたかった・・・けど、なにげにナーバスな私はひたすらおとなしくしていたのでした。
母と領事館に着き、現地には並んでいるひとが20人ほど。みんな、エクスパック500(必要な提出物。これに入れられてビザとパスポートが郵送される。)を小脇に抱えて。じゃ、この近くの喫茶店かどこかでコーヒーでも飲んで待ってるからね、と言って去る母。なぜか受験生の気分・・・。外は雨の降りそうな曇りの冬空で、そーいや、大学受験の日の朝も、こんな天気だったなあと思い出したりするのだった。
列に並んでしばらく外で待たされた後、4,5人ずつ中に入り、セキュリティチェックを受けてエレベーターで4回に上がる。するとそこにはまた長い列があり、3,4つある窓口で、それぞれ提出書類のチェックを受けていた。20分以上並んで、ようやく私の番になり、担当のおばちゃん(日本人)に書類を渡す。この神経質そうなおばちゃんは、現行のビザを見るなり、「もう5年もいるの?」。はい、としか答えようがなかったが、そのなんとなく無神経な言い方が、、、さわる。「じゃ、今回の更新で、8年もいることになるのね?」(も、ってなに、「も」って。)「はい、そうですね・・・。」そこで返されるはずはないのはわかってたけど、なんかどきどきじゃないですか。
書類のチェックが終わり、2階で面接を受けるように言われたので、階段をおりて2階に行くと、そこにまた長い列が。しかし今度はけっこう早く進んでいる様子。2つしか窓口がないのに。って、え、窓口?何も知らない私は、面接って個別に部屋に呼ばれて、はいどうぞ、お座り下さい、みたいな面接を思い浮かべていたんです。なんだ~、こんなん~。しかも、その2人の面接官は、どっちもアメリカ人だったが、日本語もそこそこ流暢らしかった。
で、私が呼ばれたのは歳のいったほうの面接官で、こちらはまず"Good morning."と笑顔で行きます。挨拶は大事ですからね。
聞かれたのは2つだけ。
まず、「何勉強してるの」と聞かれ、「今はリベラルアーツを専攻していて、全般的になんでもやってますね・・・」、そして面接官は書類に書かれた学校の名前を見るや、なぜかニヤっと笑い、「この学校好き?」と聞かれたので「はい、いい学校ですよ、大きいし。」と答えた。「かなりいろんな分野の揃った学校だって聞いてますよ。じゃ、そこに指を当てて指紋を取ってください。1週間以内に新しいビザが郵送されます。Have a good year!」。
そ、それだけー?!不安半分うれしさ半分でThank youと言って窓口を離れた。
なんか・・・あっけなかったけど、とりあえずすることは終わったので、喫茶店でコーヒーを飲んでた母とタクシーでホテルに帰ったのでした。